仏教がいう四苦八苦の意味とは?お坊さん解説!

とても苦しいときや、物事が上手く進まないとき「四苦八苦する」という風に表現したりすることがあります。

この「四苦八苦」が仏教語だということは知っている人が多いと思いますが、その内容についてよく知らないという方もいると思います。

そのため、本記事では「四苦八苦」について、現役のお坊さんが解説します。

この記事で解決する疑問
  • 四苦八苦ってどういう意味?
  • 四苦八苦はみんなに当てはまると聞いたけど本当?
  • なぜブッダは四苦八苦を説いたの?

結論から言うと「四苦八苦」は、人間として生まれたなら避けて通ることができない苦しみの姿を表しています。

具体的に解説していきます。

目次

四苦八苦とは?

四苦八苦とは仏教の開祖であるブッダが説いたものです。

ブッダは「なぜ人生はこんなにも苦しいんだろう」ということを考え、その苦しみを無くすことができないかと分析していきました。

これが仏教の原点にあたります。

そして生きる上で様々な苦しみがあると思います。むしろ苦しみばかりで嫌になるという人もたくさんいるでしょう。

仏教では、人生で受ける様々な苦しみについて大きく分けて8種類あると説きました。

四苦八苦だから4+8で12種類と思っている人もいますが、実際は8種類です。

四苦八苦の内容はざっと以下の通りです。

  • 生苦・・・生まれたことで受ける苦しみ
  • 老苦・・・老いていくことで受ける苦しみ
  • 病苦・・・病気になることで受ける苦しみ
  • 死苦・・・死への恐怖、自分が無くなることへの苦しみ
  • 愛別離苦・・・愛する人と別れなければならない苦しみ
  • 怨憎会苦・・・憎い人・嫌いな人とも会わなければならない苦しみ
  • 求不得苦・・・求めても手に入らない苦しみ
  • 五蘊盛苦・・・自分の心と体が思い通りにならない苦しみ

一つ一つ解説していきます。

生老病死

生苦・老苦・病苦・死苦の4つは、仏教では人間の根本的な苦であると言われています。

なぜ根本的な苦なのかと言えば、人間は誰しも老病死から逃れることはできないからです。

若い頃は体力もあって、肌のツヤも良く、頭の回転も速かったけど、いつの間にかどんどん衰えていってしまう。

その衰えを努力で緩和することはできても、完全に止めることは科学が発達した現代でもできていません。

どれだけ健康に気を使っていたとしても、病気になってしまうことはあり得ます。

どれだけ長生きしたいと願ったとしても最後には必ず死ななければなりません。これは人間の変えられない事実です。

この老苦・病苦・死苦は非常にわかりやすいですよね。誰だって年を取って衰えたくないし、病気にだってなりたくないし、死にたくもありません。

しかし、根本的な苦の中に「生」があるのはなぜでしょう?

それは、老病死は「生まれたから」こそ受ける苦しみだからです。

生まれたら必ず老病死からは逃れられない

生まれたことによって老いたり病気になったり、最終的には死ななければなりません。

老苦・病苦・死苦の原因は生まれたことによるとブッダは見たわけですね。

不安を覚えたり、人生がむなしいと感じたり、他の人に傷つけられたりするのも人として生まれたからです。

じゃあ死んだら解決かというとそんなわけないですよね。死苦と言われているように死ぬのだって苦しみです。

そして忘れてはならないのが、遺された人はあなたの死によっても苦しむことになってしまいます。

だから死ぬわけにはいきません。苦しみがあるのをわかっていながらも生きていかなければならないのが人間なのだろうと思います。

愛別離苦

愛別離苦とは、愛する人と別れなければいけない苦しみです。

ここでの愛する人とは、夫婦間の関係だけでなく近しい身内や友達も含まれます。要は自分にとって側にいて欲しい人のことです。

人間は誰かと必ず繋がりながらでしか生きることができないので、誰でも愛する人というのはいることになります。

その側にいて欲しい人と必ず別れなければいけないというのが、この愛別離苦です。

人生は出会いと別れの連続です。別れの時は非常に辛い思いがありますよね。

人によっては最後までずっと一緒にいるから問題ない!と思われるかもしれません。

しかし、最終的には必ず別れなければならないのです。なぜなら死苦のところで言ったように人は必ず死んでしまうからです。

どれだけ愛していようとも、ずっと一緒にいたいと思っていても、愛のパワーをもってしても死の別れから逃れることはできません。

怨憎会苦

次の怨憎会苦は、自分が憎いと思っている人や嫌いな人と会わなければいけない苦しみです。

人は誰かと関わりながらでしか生きていくことはできない以上、嫌いな人や自分と合わないなと思う人とも出会わなければなりません。

例えば、誰でも会社や学校に嫌いな人、会いたくない人がいると思います。

僕はお坊さんですが、お坊さんだって嫌いな人や自分と合わない人くらいいます。できれば顔を会わせたくないけど、会わなければいけない。

その時に受ける苦しみは人によって違うと思いますが、じわじわと精神を削ってくるような苦しみです。

しかし、会いたくないと思っていても、社会で暮らしている限り必ず会わなければならないのが人間です。そしてそれは相手が人に限りません。

例えば無人島に籠っていたら誰とも会わなくて済むじゃないかと思うかもしれません。しかし、会いたくない害虫や動物からずっと会わずにいることなんてできないでしょう。

そのため怨憎会苦も生きる上で避けることができないことが分かると思います。

求不得苦

求不得苦は、求めるものが得られない苦しみです。

人間の欲は際限がないので、「あれも欲しい、これも欲しい」となりますよね。

でもすべてが手に入るわけではありません。物や地位はお金さえあれば手に入るかもしれませんが、愛や友情といったものはたとえ求めても手に入らない時があります。

そして求める物が手に入らないとなんで手に入らないんだとそのことで頭がいっぱいになってしまう。

特に、絶対手に入ると思っていたのに手に入らなかった時の苦しみは想像に難しくありません。

例えば、買おうと楽しみにしてお金を溜めたのに、いざ買う段階になって売り切れになってしまっていたとかです。

まだ手に入らないだけなら良いのですが、自分が持っていないものを持っている人がいるという事実。

なんで私だけ手に入らないの?と余計に苦しんでしまうことになるのです。

隣の芝生は青く見えるとか言うでしょう。自分が持っている物と、他人が持っている物を比べてしまいます。

あの人は持っているのに、なんで自分だけ無いんだと苦しんでしまうのは人間誰しもあることだと思います。

人間に欲望がある限り、求不得苦も避けることができませんね。

五蘊盛苦

最後の五蘊盛苦は少し分かりにくいかもしれません。これは人間が体と心を持っているからこそ受ける苦しみです。

仏教では、人間の構成要素を5つに分けて五蘊と言います。それぞれ色・受・想・行・識と言って意味は以下の通りです。

  • 色(しき)・・・形ある肉体
  • 受(じゅ)・・・感覚作用
  • 想(そう)・・・イメージや概念
  • 行(ぎょう)・・・感情や思考・意思
  • 識(しき)・・・受・想・行以外の意識全般

ちょっと難しいですよね。

簡単に説明しますと、例えば、蚊に刺された時のことを思い浮かべてください。

蚊に刺されるのは肉体である色ですね。そして、受でなんだかむずむずするなという感覚を受けて初めて蚊に刺されたということに気づきます。あるいは視覚によって認識することもあります。

そのむずむずするなという感覚から、様々な想・行・識という意識が起こってくるというわけです。

「なんでむずむずするんだろう?虫かな?肌荒れかな?」、「蚊かよ!うっとおしいな」、「俺は刺されやすいんだよな〜」などなど。人は一瞬のうちに様々なことを思い浮かべますよね。

何か一つのことに集中しようとすればするほど様々なことが思い浮かんできます。思い通りに心と体を動かすことができないですよね。

蚊に刺されただけなら良いでしょうけど、小指をタンスの角にぶつけた時なんかはどうでしょう。

痛いという感覚も、傷ついた体も、頭で抑えようと思っても思い通りにならないですよね。

これが五蘊盛苦ということで、人間の構成要素である五蘊が盛んに起こってくることから受ける苦しみです。

だから体と心を持っている限りこの苦しみからは逃れることはできないというわけですね。

まとめ

以上が仏教で説かれる四苦八苦の意味です。

これら四苦八苦は人間として生まれたら逃れることができない8つの苦しみです。

なぜブッダは、こんな避けようもないことを説いたのでしょうか?

それは苦しみを知らなければ苦しみを取り除くことができないからです。

だからこれらがまずは苦しみであるということを知りなさいと説いたわけです。

※本記事の内容について、できる限り正確な情報を提供するように努めておりますが、正確性を保証するものではありません。特に宗派や地域慣習によって大きく左右される事柄もございますし、個々人の宗教観によっても意見が違う場合も多々ございます。本記事の内容を参考にされる場合はあらかじめご注意ください。

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