浄土真宗の墓石に刻む文字は「南無阿弥陀仏」か「 倶会一処」

都心に移り住み、新しくお墓を建てたり、お参りしやすい場所に移そうと考える人が増えてきています。

その際に頭を悩ませるのが、墓石に刻む文字です。

一般的には「〇〇家之墓」あるいは「先祖代々之墓」を想像されると思いますが、浄土真宗の墓石には「南無阿弥陀仏」または「倶会一処(くえいっしょ)」と彫るのが伝統的な習わしになっています。

しかし、なぜ「南無阿弥陀仏」または「倶会一処」と彫るのか知っている人は少ないんではないでしょうか?

そこで本記事では、浄土真宗の墓石に彫る文字の意味について現役のお坊さんが解説します。

この記事でわかること
  • 浄土真宗の墓石に刻む文字は何が正しい?
  • 「南無阿弥陀仏」「供会一処」にはどういう意味があるの?
  • 他の文字は彫っちゃダメなの?

新しくお墓を建てられたり、別のお墓に移されたりする方の判断の助けになれたら嬉しいです。

目次

墓石に「南無阿弥陀仏」と彫ってある意味

まず南無阿弥陀仏とは、浄土真宗のご本尊のことです。

ご本尊とは、最も大切なものという意味があります。

つまり、浄土真宗は南無阿弥陀仏という仏様を最も大切にしているということです。

もう一つ重要なことが、浄土真宗では「南無阿弥陀仏」と書かれたものはすべてご本尊であると考えます。

そのため、先祖代々自分たちが最も大切にするご本尊をお墓に彫ってきました。

「南無阿弥陀仏」と彫られたお墓自体がご本尊となります。

お墓自体がご本尊であるメリット

浄土真宗では、故人は仏様となりご本尊である阿弥陀仏とともにあると考えています。だから浄土真宗が手を合わせる先はどんな時でもご本尊です。

だから、手を合わす先には必ずご本尊が必要になります。

しかし、ご本尊は基本的に掛け軸や木像を形取っており、お墓に置いておいたら雨風で傷んでしまいますよね。

お墓参りの際に毎回持っていっても良いのですが、その都度持っていくのは大変です。

そのため、故人を偲ぶと同時に、ご本尊に手を合わせるため、「南無阿弥陀仏」と彫ってきたという側面もあります。

お墓の前で法要等を行う際は、ご本尊が必要になります。しかし、「南無阿弥陀仏」と彫ってある場合は、墓石自体が御本尊になるので別途ご本尊が必要になることがありません。

墓石に「倶会一処」と彫ってある意味

「倶会一処」は、浄土真宗が拠り所としている『阿弥陀経』に書かれている言葉です。

「倶会一処」は「ともに一つの場所で出会う」という意味があります。

浄土真宗は、念仏すれば阿弥陀仏の世界である極楽浄土に往生することができるという教えなので、一つの場所とは浄土のことを表します。

『阿弥陀経』では、浄土の仏や菩薩たちとともに一つの処で出会うために、浄土へ生まれたいという願いを起こしなさいと説いています。

このように、浄土に生まれたいという願いを表すために、浄土真宗を信仰してきた人々は墓石に「倶会一処」と刻んできました。

浄土真宗のお墓の考え方

以上のように、浄土真宗では伝統的にご本尊である「南無阿弥陀仏」か、浄土に生まれたいという願いを表す「倶会一処」を墓石に刻んできました。

これは、お墓が故人の供養のためではなく、残された人たちが故人を縁として浄土真宗の教えを確かめ合う場所であるということを表しています。

「南無阿弥陀仏」も「倶会一処」も実際に目にするのは、お墓参りをする残された人たちです。

このように浄土真宗のお墓は、残された者のためにあるという側面が非常に強いです。

実はこれには、お墓ができてきた経緯が大きく関係しています。

浄土真宗のお墓の考え方のルーツは親鸞聖人

浄土真宗の開祖は、鎌倉時代の親鸞聖人という方です。

親鸞聖人は周りの弟子たちに「もし自分が亡くなった場合は、京都の鴨川に捨てて、魚のエサにしてくれ」とおっしゃっていたと伝えられています。

このようなことをなぜ言ったのかと言うと、親鸞聖人という人ではなく、阿弥陀仏の教えを道しるべとしなさいということだと思います。

ブッダも似たようなことを言っていた

仏教の開祖であるブッダも亡くなる直前、弟子から「あなたが亡くなったら耐えられません。これから何を支えとして生きれば良いのですか?」と尋ねられた時、「自らを灯火とし、法を灯火としなさい」とおっしゃったことに通じています。

しかし、大切な人を亡くした時の自分に置き換えて考えてみてください。

もし自分にとってとても大切な方から「遺体は川に捨ててくれ」と言われても、はたして川に捨てることができるでしょうか?

遺体をそのまま捨てるということは今の日本の制度上できませんが、たとえ捨てることが可能だったとしても、自分にとって大切だった方を川に捨てるなんていうことはなかなかできないでしょう。

浄土真宗のお墓は「教えを聞く場」としてある

当時の親鸞聖人を大切に思っていた方も、親鸞聖人の亡骸を鴨川に捨てるということはどうしてもできませんでした。

最終的には、遺体をきちんと火葬し、ご遺骨を埋葬してお墓を作ることになったのです。

しかし、ただ埋葬して終わりというわけではありませんでした。

遺された親鸞聖人の周りにいた人たちは、親鸞聖人のお墓に集まって親鸞聖人の教えを確かめ合う場所としたのです。

言い換えれば、親鸞聖人のお墓にお参りすることが、浄土真宗の教えを聞いていく縁となっていったのです。

本願寺は元々お墓だった

やがて、多くの人が親鸞聖人のお墓に集まるようになり教団が形成されていきます。これが現在の本願寺のルーツとなります。

実は、本願寺は親鸞聖人のお墓が元になっているんです。

この本願寺ができあがっていった流れが、浄土真宗におけるお墓の考え方の元にもなっています。

つまり、親鸞聖人の周りの人が親鸞聖人のお墓で教えを確かめ合ったように、浄土真宗のお墓は「亡くなった人を縁として浄土真宗の教えを聞く場」としてあるということです。

お墓には必ず南無阿弥陀仏と刻まなければいけないの?

今は都会で生活する人が増え、実家のお墓には遠くてお参りできないからお墓を移すという方が増えてきています。

そこで気になるのが、新しくお墓を建てた場合、家が浄土真宗なら必ず「南無阿弥陀仏」と刻まなければいけないのか?という疑問です。

結論から言うと、必ずお墓に「南無阿弥陀仏」「倶会一処」と彫らないといけないというルールはありません。

伝統的にそうなっているだけで、規則としてそういったことが定められているわけでもありません。

なので極論を言ってしまうと、何を彫っても自由ということになります・・・。

何を彫っても自由だけど・・・

ご先祖様はきっと自分が大切にしてきたものを受け継いでいって欲しいと願っていると思います。

お墓は友人や家族などの残された者のためにあります。そのことをぜひとも忘れないでいて欲しいです。

実際に、別の言葉を彫ってしまったけど、後々になってやっぱり考え直したという人も私の周りには結構います。

お墓は一度建てると簡単に変更がききませんので、新しくお墓を建てる際は慎重に判断してください。

違う言葉を彫る際の注意点

最後にお墓に「南無阿弥陀仏」「倶会一処」と彫らない場合の注意点を解説します。

住職に事前に相談しておく

菩提寺の住職には、事前に「別の言葉を彫ろうと思うんだけど」と相談しておくことをオススメします。

なぜかというと、最悪の場合、浄土真宗のお墓にふさわしくないと法要を拒否されてしまうケースが実際にあるからです。

今は柔軟な対応をするお寺も増えてきていますが、最悪の場合お墓で法要を行ってもらえないということもあり得ます。

トラブルを防ぐ意味でも事前に相談しておきましょう。

親族にも相談しておく

親族にも別の文字を彫るということは言っておいた方が無難です。

親族の中にも別の文字を彫ることはけしからんと思う人がいるケースが結構あります。

自分らしいお墓と考える人が多いですが、実際にお墓参りをする人は親族や子どもなどの残された人です。

浄土真宗の法要をする場合はご本尊が必要になる

上で説明したように墓石に「南無阿弥陀仏」と彫ってある場合は、墓石自体がご本尊になります。

墓石自体がご本尊の場合は、お墓参りや法要の際に別途ご本尊を用意する必要がありません。

違う文字を彫った場合は必然的にお墓にご本尊が必要になりますので、別途ご本尊が必要になります。

まとめ

以上が、浄土真宗のお墓に「南無阿弥陀仏」「倶会一処」と彫ってある理由です。

浄土真宗のお墓は、あくまでも残された人が手を合わせる場所として考えています。

実際そのように、先祖代々受け継がれてきました。

そのことを忘れてしまうと見当違いな方向に進んでしまうこともあります。

※本記事の内容について、できる限り正確な情報を提供するように努めておりますが、正確性を保証するものではありません。特に宗派や地域慣習によって大きく左右される事柄もございますし、個々人の宗教観によっても意見が違う場合も多々ございます。本記事の内容を参考にされる場合はあらかじめご注意ください。

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