仏教の悟りを開くってどういうこと?お坊さんが解説

仏教では悟りを開くということが最終目標となります。

しかし、仏教の長い歴史の中で、完全な悟りを開いた人物は、仏教の開祖である釈尊ただ一人と言われています。

では、悟りを開くということは一体どういうことなのか?

本記事では仏教の悟りを開くということについて、またその悟りの内容について現役のお坊さんが解説します。

この記事で解決する疑問
  • 仏教の悟りを開くってどういうこと?
  • 釈尊はどういうことを悟ったの?

結論から言うと、仏教の開祖である釈尊が悟った内容とは「縁起」であると言われています。

縁起についてはこれから詳しく解説しますが、なぜ縁起を悟ることが必要なのかという苦しみから開放されるために必要だからです。

目次

縁起の道理

縁起とは、その字の通りすべてのことが「何かに縁って起こる」ということです。

縁とは、原因やその他の条件のことをいいます。

つまり、ざっくりと簡単に言ってしまえば、今現在起こっているすべての現象や物は、必ず原因や条件があって起こっているんだという事実です。

このことを釈尊は発見しました。考え出したのではなく、世の理として縁起があるんだということです。

何を当たり前のことをと思うかもしれませんが、これを自分のこととして受け止めることは非常に難しいです。

なぜなら人間には感情や心があり、理屈抜きで感情的に考えてしまいがちなのが人間だからです。

仏教の根幹には縁起の考え方がある

仏教の考え方の大本には、すべて「縁起」があります。

例えば、縁起によってあらゆる物事がお互いに関係し合っているのだから、常に同じ状態は無く絶えず移り変わっていくという「無常」という考え方にも繋がっていきます。

無常については以下のページでも詳しく解説しています。

さらに、常に移り変わっていくという「無常」という考え方は、永遠に不変な魂や自我といったものが無いという「無我」という考え方にも繋がっていきます。

ここでは無我についてなぜそうなるのかということには深く触れませんが、魂や自我というものの性質は「変わらないこと」です。もし変わってしまったら、それがその人の魂と言えなくなってしまいますからね。

このように、すべてのことが移り変わっていくというのなら、永遠に変わらない魂といったものの存在が自動的に否定されてしまいます。

縁起によって苦しみも無くすことができること

この縁起によって何が言いたいかと言うと、すべてのことに原因や条件があるのなら、苦しみということにも原因や条件があるということです。

原因と条件をはっきりすることができたら、苦しみの原因を取り除き、苦しみを無くすことができるんだということです。

釈尊が苦行を行ったのも、苦を取り除く方法を見つけ出そうとしたからなので、この縁起の道理を見つけたことは大発見でした。

この縁起の道理によって苦しみには原因があると知り、釈尊はその原因を深く深く掘り下げていきました。

縁が整えば、どんなことでもしてしまう私たち

縁起というのには、もう一つ重要な意味があります。

浄土真宗の開祖である親鸞聖人は次のような言葉を残されています。

さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし

『歎異抄』

「縁って起こる」ということは、原因や様々な条件が重なってしまえばどんなことでもやってしまうという意味です。

テレビのニュース等で、ひどい事件を見ることがありますよね。なんであんな人がこんなことをしたんだろうと思うこともあるかもしれません。

それを見ている私たちは他人事で、自分は絶対こんなことをしないと思っています。

しかし、縁が整ってしまうといかなるふるまいもしてしまう私たちなのです。

そのことを自覚するのは非常に難しいです。

釈尊の悟りは不可思議

縁起を完全に理解し、自分のこととして自覚するのは非常に難しいです。そのように釈尊の悟った縁起は不可思議と言われています。

不可思議とは不思議であり「思議できない」ということで、「思議」とは言葉で考え理解し受け止めることです。

不思議なことって上手く言葉で説明できないですし、たとえ説明されてもよくわかりませんよね。

つまり、私たちが普段使っている言葉を縁起を完全に理解することはできないということです。

先ほどの、縁が整えばどんなことでもしてしまう私たちということは、言葉で言えば簡単ですが自分のこととして受け止められないのじゃないでしょうか。

自分は絶対にあんなひどいことはしないと思って生きているのが現実です。

そのようにお釈迦さまも縁起を悟られた時、この縁起を他の人が理解し受け止めることは不可能だから誰にも教えないでおこうと思われたくらいです。

しかし、なんとか言葉を尽くして語ってきたのが仏教の歴史でもあり、その語られた内容が経典として今も残っているんですね。

悟ったらどうなる?

もしも悟りを開くことができたらどうなるのでしょうか。

悟りを開いたら目覚めた人、ブッダになります。成仏ですね。

悟りを開くことができれば、苦しみから完全に解放されると言われています。

しかし、今の時代は釈尊が亡くなってからもう長い時が経っており、たとえ厳しい修行を積んだとしても悟ることができないと言われているんですね。

悟れないんだったら仏教を教えを聞く意味ないじゃんと思われるかもしれません。

しかし、仏教の教えを聞く意味はあります。

その一つが、どんな境遇にあっても、どんな苦しい環境であっても前を向いて安心して歩いていくことができるということです。

苦しみの原因が全く分からなかったり、または見当違いのところに原因を見ていたら解決するものも解決しませんからね。

そして、苦しい時はどうしても立ち止まってしまいます。前向きな考え方ができなくなってしまいますよね。

苦しみの原因を知るということは、解決する道筋が少しわかるということです。

たとえ、完全に苦しみから解放されなくても、その道筋に従って歩いていくことはできるのです。

まとめ

ブッダが悟った縁起を解説してきました。

縁起は、すべてのことに原因と条件があって起こってくるということでしたね。

こう書くと簡単に思うかもしませんが、そのことを”本当の意味で受け止める”というのは難しいです。

しかし仏教が苦しい時に前を向いて歩ける力となってくれるのは間違いないです。

※本記事の内容について、できる限り正確な情報を提供するように努めておりますが、正確性を保証するものではありません。特に宗派や地域慣習によって大きく左右される事柄もございますし、個々人の宗教観によっても意見が違う場合も多々ございます。本記事の内容を参考にされる場合はあらかじめご注意ください。

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