浄土真宗以外の葬儀に参列すると、最後にお清めのための塩をもらうことがあります。
またお店などでも、入り口の横に塩が盛ってあったりすることがありますね。
馴染みがある清め塩ですが、浄土真宗では一切使うことはありません。
本記事では、なぜ浄土真宗が清め塩を使わないのかということを現役のお坊さんが解説します。
- 浄土真宗では清め塩を使わないのは本当?
- 清め塩を使わないのはなぜ?
- 清め塩を使わなくても本当に大丈夫なの?
結論から言うと、浄土真宗では死を穢れと見ないから清め塩を使いません。
そのためお清めの塩は必要ないというスタンスを取っています。
順を追って解説していきます。
そもそも清め塩とは?
葬儀の際に使用される清め塩は、盛り塩や小袋に詰められた塩等いろいろな形が見られますが、元々は日本古来からの風習です。
古来より日本では穢れ・不浄といった概念があり、死や病気等は穢れていると考えられてきました。
死が穢れたものだとすると、亡くなった方を弔う葬儀に参列した人も同様に穢れを受けてしまい、それを清めなければならないと考えられていたようです。
塩には古来より殺菌力や浄化する力が宿っていると信じられてきました。
死に関係しない相撲でも場を清めるために清め塩を撒くというのをテレビで見たことがある方も多いんじゃないでしょうか。
そのような浄化する力があると信じられている塩と死の穢れを清めなければならないということが合わさって葬儀に清め塩を使用するということになったんですね。
仏教には本来清め塩を使う風習は無い
どちらかというと清め塩は神道の文化と言って良いでしょう。
なぜ仏教に本来ない清め塩が、仏教式の葬儀で用いられているかと言うと、仏教と日本の風習が融合した結果です。
仏教はインドから中国へ、中国から日本へ伝わりましたが、一気に日本に広まったわけではありません。
徐々に日本の中に仏教が広まっていくことで、元々使用されていた清め塩という風習と仏教式の葬儀がだんだんと合わさっていったのです。
だから仏教式で行うすべての葬儀に清め塩は本来不要なはずなのですが、今では多くの葬儀で清め塩が使用されています。
死を穢れとして見ない浄土真宗

現在の多くの葬儀では清め塩や清めのためのお酒というのが使用されていますが、浄土真宗では清めの品を使用するということはありません。
なぜなら、冒頭でも述べた通り仏教では死を穢れとして見ていないからです。
そしてその本来の仏教の考え方を浄土真宗では大事にしているのです。
清め塩を使うと亡くなった方は穢れた存在になってしまう
亡くなった大切な方は本当に穢れているのでしょうか?
葬儀に参列される方は、亡くなった方を大切に思っている人がほとんどで穢れているなんて思っていないと思います。
むしろ亡くなった方を仏様として敬い、亡くなった方から自分自身の生き方を尋ねていくというのが浄土真宗の考え方です。
つまり浄土真宗では、亡くなった方は決して穢れた存在などではなく、尊い存在であると受け止めています。
葬儀自体も穢れた場等ではなく、大切な方の死を通して自分自身も限りある命を生きている身なんだと知らされる大切な場だと僕は思っています。
まとめ
以上が浄土真宗が清め塩を使わない理由でした。
清め塩を使わないと言うと、他の宗派の方からは驚かれることが多いのですが、浄土真宗は本来の仏教の考え方をとても大切にしています。
だから、死を穢れとみなすことになる清め塩を用いることはしませんし、葬儀は亡き人を通して大切なことを教えてもらう場として尊重しています。
そのような大切な場を穢れているとみるのはなんとも悲しいことではないでしょうか。