仏教が説く苦しみの原因・本質【思い通りにならないこと】

いつも幸せでいたいと願っていても、幸せな時もあれば苦しい時もあるのが人生です。

ではなぜ苦しいと感じるのでしょうか?

本記事では、仏教が説く苦しみの根元について、現役のお坊さんが解説します。

この記事で解決する疑問
  • 苦しみの原因を知りたい
  • 仏教の苦の本質って一体何?
  • 苦しみを和らげる方法はあるの?

仏教では苦しみには大きく分けて3種類あると説かれています。

苦しみとは一体なんなのか知らないと、それに対処することもできません。

もし苦しみの根源を少しでも知ることができれば、苦しみを和らげる大きな助けになるのではないでしょうか。

それでは、苦しみとはなんなのか?具体的に解説していきます。

目次

3種類の苦:苦しみの原因

仏教で言う苦は、インドの言葉で「dukkha(ドゥッカ)」と言います。

「圧迫して悩ます」という意味です。

しかしこれではなんのことかよくわかりませんね。

苦しみには、大小があるように、それぞれ表面的な苦しみから、なんだかよくわからないけど、心の奥底から溢れてくるような苦しみなどさまざまなものがあります。

仏教で説かれている苦には、人間が感じる表層的な苦からもっと深い根源的な苦まで大きく3種類に分けられています。

一般的には三苦と呼ばれ、以下の通りです。

  • 苦苦(くく)・・・感覚的な痛みを伴う苦しみ
  • 壊苦(えく)・・・良い方向から悪い方向へ変化した時に受ける苦しみ
  • 行苦(ぎょうく)・・・思い通りにならないという根源的な苦しみ

それぞれ詳しく解説していきます。

苦苦

一番初めの苦苦はもっとも基本的で分かりやすい苦です。

苦苦に分けられる苦しみは、具体的には以下の通りです。

  • 怪我や病気になった時の痛みや苦しみ
  • 熱すぎたり、寒すぎたりする時の苦しみ
  • 蚊に刺されて、かゆみが引かない時の苦しみ
  • 辛すぎたり・苦すぎる食べ物を食べた時の苦しみ
  • 嫌な臭いを嗅いだ時の苦しみ

このように苦苦は、どれも人間の視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感から感じられる苦しみです。

とても分かりやすく、日々感じている苦しみです。この苦しみを感じたことが無いという人はいないでしょう。

この苦苦は、仏教でももっとも分かり易い苦として挙げていて、基本的な苦しみに分けられます。

壊苦

次に壊苦ですが、「壊」という字が入っていますね。何が壊れるんでしょう?

答えは自分にとって良いと思う感情や環境です。

良い感情や環境が壊れて無くなった時に人間は非常に大きな苦しみを感じます。

例えば、今が幸せであればあるほど、その幸せの気持ちが無くなった時はとっても苦しいです。さらにその幸せがなくなったらどうしようと?と想像してしまうことでも苦しみを受けてしまいます。

地位や名誉なんかでもそうです。いったん手に入ったものを人間は手放したくないと思うものです。

自分のものを失う時に人は大きな喪失感を感じ、苦しいと感じます。

失う前と失った後の感情の落差が大きいほど苦しみも大きくなっていきます。

仏教では、これ以上ない喜びや快楽を「天」として表します。「有頂天になる」という言葉を聞いたことがあると思います。

しかし、その「天」から落ちた時の苦しみは、地獄に落ちた時に受ける苦しみよりはるかに大きいと仏教では言われています。

さらに一歩踏み込むと、感覚的な苦苦を受けた時には、同時に壊苦も受けることになるということです。

例えば、病気になった時は「痛いという苦しみ」と「良い状態から悪い状態になった苦しみ」の二つを受けることになるわけです。

壊苦は苦苦のもう一段深いところにある苦しみということが言えると思います。

行苦

最後の行苦は人間が生まれながらにして持っている苦です。この行苦は「自分の思い通りにならない」時に感じる苦しみのことを指しています。

生まれながらにして持っているということは人間にとって一番根本的な苦であるということです。

先ほどの苦苦も壊苦もその苦しみの根本には行苦があります。

つまり「思い通りにならない」ということが苦の本質だということを示しています。

  • 好きな人と結ばれなかった
  • 夢だった職業に就けなかった
  • 病気になった思い描いた人生設計が狂ってしまった
  • もっと背が高ければよかった
  • もっと美人に生まれたかった

人間はなんでも自分の思い通りにしたいと思っています。しかし上記のように人生思い通りにならないことばっかりじゃないでしょうか。

自分の体や心すら思い通りにできない

人間は自分の体や心すら思い通りにできません。

どれだけ注意を払っていても病気になったり、怪我をしてしまう時はありますよね。とっても痛いです。

その痛みは薬で和らげることができるかもしれませんが、すぐには無くなりません。

子どもの頃に怪我をした時は「痛いの痛いのとんでけー!」ってお母さんからおまじないをかけてもらったという方も多いんじゃないでしょうか。

たとえおまじないをかけたとしても、どれだけ痛みよ無くなれ!と思っても、痛いものは痛いのです。自分の体のことなのに思い通りにできませんよね。

さらに、友達とたわいもない話をしていたはずなのに、ちょっとした一言にカッとなって喧嘩をしてしまったことがある人もいると思います。

思いもよらない言葉を投げかけられて平静を装ったけど心の中は大きく動揺してしまっていた。

などなど、自分の心すら思い通りに動かすことができないのが人間です。

思い通りにできると思っているのに思い通りにならないことに苦しみの原因がある

思い通りにできないのが当たり前のことなんですが、なぜか人間は思い通りにできると思っています。

思い通りにできる、思い通りにしたいと思っているのに思い通りにならない。

仏教では思い通りにならないことを「不如意(ふにょい)」って言います。

「意の如くならず」現実は思い通りにならないことの方が多いので、そのギャップに人間は苦しんでしまいます。

思い通りにならないということが苦しみの原因でもあり苦の本質であると仏教では考えたんです。

ありのまま受け入れる

これまで説明してきたように、思い通りにできると思っていても思い通りにならないということに苦しみの根本があるわけです。

だから、まずは思い通りにしようとしないという心が大事になってくると仏教では考えたわけですね。

思い通りにしようとしないというのは、ありのままに受け入れることです。

でも問題は思い通りにしようとしない、ありのまま受け入れようと思っている心も思い通りにならないってことです。

そこが人間の難しいところであり、仏教の難しいところです。

しかし、苦しみを無くすための最初の一歩となることは間違いないです。

まとめ

以上が仏教が説く3種類の苦しみでした。

一番表層的な苦苦、例えば「痛い」という苦しみを受けた時は、同時に壊苦「良い状態から悪い状態になった時に受ける苦しみ」も受けることになります。

さらに、もっと深いところで行苦「自分の体・感覚さえ思い通りにできない苦しみ」も受けているということですね。

話がややこしくなってきましたが、要は苦しみを感じる根っこには「思い通りにならない」という感情があるということです。

そこに気づくということを仏教では大切にしています。

※本記事の内容について、できる限り正確な情報を提供するように努めておりますが、正確性を保証するものではありません。特に宗派や地域慣習によって大きく左右される事柄もございますし、個々人の宗教観によっても意見が違う場合も多々ございます。本記事の内容を参考にされる場合はあらかじめご注意ください。

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