顔の前や体の前で左右の手を合わせることを合掌と言います。
食事の時に「いただきます」と手を合わせます。
仏壇の前やお墓の前でも手を合わせます。
普段何気なくしている合掌ですが、意外と合掌の意味を知らずにしている方が多いんじゃないでしょうか。
本記事では、毎日合掌をしているお坊さんが合掌の意味について解説します。
- 食事の時になんで手を合わせるの?
- 合掌にはどういう意味があるの?
- 食事の時と仏壇の前でする合掌は違う意味があるの?
合掌には「敬い」や「感謝」という意味があるのは合掌する場面を想像すればなんとなくわかると思いますが、合掌の本来の意味は「ありのままの自分を見せる」ということです。
合掌するとなんでありのままの自分を見せることになるの?って思われるかもしれません。
これは合掌の起源を辿っていくと分かり易いです。
順を追って解説していきます。
合掌はインド古来からの礼拝の仕方
合掌は現在の日本では当たり前に見られる光景ですが、元から日本にあったわけではありません。
実は合掌は元々はインド発祥の文化で、インド古来の仏教徒のあいさつや礼拝の仕方なんです。
それがインドから中国へ、中国から日本へ仏教が入ってくる過程で仏教の礼拝方法として一緒に伝わってきたと考えられています。
日本では、食事の時や仏壇の前などでしか合掌することはありませんが、今でも日常の挨拶としてインドでは合掌をしています。
合掌の意味【右手は清浄・左手は不浄の象徴】
合掌は自分自身の正面で両手をぴったりと合わせます。
インドでは右手は清らかなものの象徴とされ、左手は不浄を象徴すると古くから考えられてきました。
インドのテーブルマナーにもその考え方がよく表れていて、インドではご飯を口に運ぶ時は右手しか使ってはいけないということを聞いたことがあるかもしれません。
人間は清らかな部分と不浄な部分を併せ持つ存在です。
自分の良い面ばかりを見せても、「腹の中では何を考えているんだろう?」と疑心暗鬼になってしまいますし、逆に悪い面ばかり見えてもその人の本質はわかりません。
どちらか一方を見せても、その人のありのままの姿というのを見せたことにはなりませんし、その人の一面だけ見ても信頼することはできませんよね。
それを合掌することによって、「私はどちらも併せ持つ存在ですよ」「ありのままの自分を見せていますよ」ということを合掌する相手に示しているというわけです。
握手も手を差し出すことによって武器をもっておらず、敵意がないことを表しますので、挨拶の仕方には共通点があるのかもしれませんね。
さらに、ありのままの自分を見せるということは、本当に相手を敬い信頼していないとできない行為です。
合掌とナマステ

インドでは合掌とともに「ナマステ」と挨拶をします。
「ナマステ」は「ナマス」と「テ」がくっついた言葉でそれぞれ以下のような意味があります。
- ナマス・・・帰依する
- テ・・・あなたに
つまり「ナマステ」は「あなたに帰依します」という意味で、「帰依する」というのは「敬う・拠り所にする」と同じ意味と考えてもらって良いです。
ナマステと南無阿弥陀仏
「ナマステ」は日本では聞いたことがないという人がほとんどだと思いますが、実は日本でも馴染みのある言葉の元になっています。
それが「南無」という言葉です。
「南無阿弥陀仏」といえば聞いたことが無いっていう人はほとんどいないんじゃないでしょうか。
この「南無阿弥陀仏」の「南無」は「ナマス」の音写語(音をそのまま漢訳した言葉)なので、「ナマス」と全く同じ意味です。
つまり「南無阿弥陀仏」は「阿弥陀仏を敬います」「阿弥陀仏に帰依します」という意味になるというわけです。
食事の時の合掌は命に対する敬いを表す

合掌は相手に対しての敬いを表すのは上でも述べた通りですが、では食事の際にする合掌にはどういう意味があるんでしょうか。
実は、食事の際の合掌も意味としては同じで、何を「敬う」のかというと「命」に対してです。
今でこそ食事にほとんど困らない飽食の時代なので、日常で意識することは少ないかもしれませんが、僕たち人間というのは、何かの命をいただくことでしか生きていくことができません。
食べるということは、何かの命をいただくことと同じことで、いただくものが動物にしても植物にしても一緒です。
昔はその日暮らしが当たり前で、その日いただくものによって自分が生かされているという実感が強かったんだと思います。
その日いただくものに対して合掌することによって、命を差し出してくれた相手に「敬い」と「感謝」を表すとともに、いただいた命を無駄にしないように精一杯生きていきますということを合掌を通して表していたんではないでしょうか。
しかし、現在の僕たちは他の命によって生かされているということを忘れがちになってしまいます。
まとめ
以上が合掌の意味です。
普段何気なく手を合わせていても、自分が意識していないだけでその奥底には「敬い・感謝」という気持ちが眠っているのではないでしょうか。
「食事の時の合掌」「ごめん!って謝る時の合掌」「ご先祖様に対してする合掌」等、日本でも結構手を合わせる機会というのはお坊さんでなくても意外と多いです。
自分が今何を思って手を合わせたのか振り返ってみると、新たな発見があるかもしれませんね。