仏教の六道輪廻とは?地獄・餓鬼・畜生の意味をわかりやすく解説!

仏教には六道または六道輪廻という言葉あります。

地獄、餓鬼、畜生・・・という言葉を聞いたことがある人も多いんじゃないでしょうか。

地獄や餓鬼、畜生は六道輪廻という考え方の中に含まれる言葉です。

では一体六道輪廻とはなんなのか?六道輪廻が意味することとは何なのか?

本記事では、現役のお坊さんが仏教で説かれる六道の考え方を解説します。

この記事で解決する疑問
  • 仏教で説かれる六道にはどういう意味があるの?
  • 六道の内容が知りたい
  • 六道はなんで説かれたの?
目次

六道とは?

六道とは、仏教発祥当時にあったインドの輪廻転生の考え方で、仏教以前よりありました。

六道では、生きているうちに行った行為の結果によって六つの世界のいずれかに生まれ変わるというように考えられていました。

生まれ変わりというと非現実的に思われるかもしれませんが、浄土真宗ではこの六道の分類は「現在の我々の姿や生きている在り方」であると解釈しています。

つまり、六道とは亡くなった後の話なのではなく、現在の私たちの生きている姿であるというように考えているのです。

この六つの姿は、いずれにおいても苦しみを伴う生の在り方として説かれます。

六道はそれぞれ以下のように分かれています。

  • 地獄
  • 餓鬼
  • 畜生
  • 修羅

それぞれが、苦しみを備えており、仏教の最終目標はこの六道から脱出する=解脱することを目標にしています。

まずは六道のそれぞれについて、どのような世界なのか簡単に見ていきましょう。

地獄

地獄は、簡単に言うと、際限の無い恐怖と絶え難い苦しみを受ける世界です。

生きている内に悪いことを行う=悪業を積むと地獄に落ちると考えられてきました。

地獄の中にもそれぞれ階層があり、階層によって切られたり、針に刺されたり、焼かれたり、釜で煮られたりといった責め苦を負わせられます。

階層が下に行けば行くほど、その苦しみは何倍・何十倍・何千倍になるというように言われています。

そのような絶え難い苦しみが延々と続く世界が地獄です。

今現在では地獄という言葉は、あまり馴染みがないかもしれませんが、ほんの一昔前までは、「悪いことをしたら地獄に落ちるぞ!」という脅し文句にも使われていました。

餓鬼

餓鬼道は、生きている間に嫉妬深かったり、欲深かったりした者が行く世界であると伝えられています。

餓鬼の世界では、どれだけ物を欲しようとしても、どれだけ食べ物を欲しようとしてもそれが叶うことはありません。

例えば、食べ物を食べようとしたとしてもたちまちに燃え尽きてしまったり、水を飲もうとしても、永遠に満たされないというような具合です。

つまり、餓鬼の世界の住人はずっと飢餓状態であり永遠に満たされないと言えます。

飢餓状態の人が体は痩せ細っているのにお腹だけが膨らんでいるという写真を見たことがある方もいるかもしれません。

餓鬼の姿は、そのような飢餓状態と同じ姿で描かれることが多いです。

畜生

畜生道は、牛や犬などの家畜の世界です。

家畜は動物ですから、理性は無く、自分自身の欲求のみに従って生きています。

そのように畜生道では、本能的な欲求に抗うことができない世界です。

また、家畜は鎖で繋がれていますね。鎖で繋がれていなくても、自由に動くことは人間が許しませんから、家畜は自由に動くことはできません。

欲のみに従って生きていたいのに、他の者が邪魔して思い通りにならない。

他者に自分の生を握られている状態です。

畜生道は、そのような苦しみを受ける世界でもあります。

修羅

修羅は阿修羅が住む世界のことです。

この修羅道は、元々の輪廻転生には無い世界で、後になって追加された世界です。

阿修羅は、終始闘争を好み、絶えず他の者と戦い続ける存在です。

つまり、常に怒り狂っているということを意味しています。

そのため他者を思いやることができず、他者を傷つけることしかできません。

他者を傷つけると同時に、自分自身も傷つけられる。そのような苦しみを受ける世界でもあります。

人は、言葉通り、私たち「ひと」のことです。ちなみに六道の中では「にん」と発音します。

人道は、そのまま私たちが生きているこの世界のことを表します。

人は、自我があり、意思があるため、さまざまなことを考えることができます。

しかし、その思いによって同時に苦しめられているとも言えるのではないでしょうか。

最後は、天です。

天界の住人は天人や神様です。

天人や神様は類稀なる力を持っており、自分の思い通りに事を運びやすい存在でもあります。

つまり自分自身の願いを自分の力で叶えることができ、満足しやすいということが言えるかと思います。

これ以上ない、満足感を得ることができる世界というと非常に良い世界のように思えるかもしれませんが、天界にも苦しみがあります。それも他で受ける苦しみよりはるかに大きな苦しみがあると言われています。

それは、満足感が無くなった時に受ける苦しみです。

あるいは、上から下へ転落する苦しみ。

あるいは、今持っているものが無くなってしまう苦しみ。

天界の住人は、自分が今ある地位から転落していまうのではないか?という恐怖に執われている存在であるとも言えるのです。

もし仮に、天界から落ちてしまった場合は、地獄で受ける苦しみの何倍もの苦しみを受けると伝えられています。

そのような楽と苦の落差が非常に大きな世界が天界です。

六道が表す意味

これまで六道の世界を見てきましたが、これらの世界が私たちの世界とは別に存在しているとはなかなか考えられないのではないでしょうか。

仏教も同じで、死後このような世界に生まれ変わるとは一言も言っていません。

むしろ、仏教では死後のことは観測しようが無いから何も言わなかったという歴史があります。

六道は生きている私たちの生き方そのものを表す

では、なぜこの六道を仏教が取り入れたのか?というと、六道における苦しみは、そのまま今生きている私たちが受ける苦しみと言えるからです。

地獄などの六道は私たちの別の世界に存在しているのか?いいえ、そうなことはありません。

この世の地獄と言うように、他人に責め苦を負わされ、思い通りに生きることができません。

世の中は、以前と比べようもないくらい豊かになりました。しかし、餓鬼のように人間はどれだけ与えられても満足するはありません。

貪欲に自分自身の欲に向かって突き進んでいっています。

畜生は、鎖に繋がれた生き方です。私たちは、人間関係・社会・お金・政治などに縛られて生きていきます。本能的に生きようと思っても、そのように生きることは叶いません。

修羅は、戦いの世界ですが、まさに現在が競争社会です。無意識のうちに他人を蹴落としてでも自分の利を求めます。競争社会とは、誰かが負ける世界です。

私たちは、自分が得たものを失うのを非常に恐れます。富や地位などがまさにそうです。

天界に住まう人が恐れるように、私たち人間も一旦手に入れたもの、自分のものを失う時の苦しみを想像すると絶え難いものがあります。

それらの苦しみをすべて受ける存在として「人」があるのです。

六道で受ける苦しみは、まさに今私たちは受けている苦しみなのではないでしょうか。

このように六道という世界観を通して、人間が生きる苦しみというのを仏教では間接的に表してきたのです。

まとめ

以上のように、六道は生まれ変わった後の世界というような描かれ方をしていますが、実は生きている私たちが直面している事柄ばかりです。

仏教ではこのように空想上の話や伝説を用いて、人間の苦しみとは何か?を伝えようとしてきました。

この六道もそのうちの一つということです。

※本記事の内容について、できる限り正確な情報を提供するように努めておりますが、正確性を保証するものではありません。特に宗派や地域慣習によって大きく左右される事柄もございますし、個々人の宗教観によっても意見が違う場合も多々ございます。本記事の内容を参考にされる場合はあらかじめご注意ください。

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